第46回広島県神楽競演大会 演目紹介
9時10分〜9時30分四方祓川北神楽団安芸太田町(加計)
9時35分〜10時10分葛城山横田神楽団安芸高田市(美土里町)
大和国葛城山に年古く住む土蜘蛛の精魂は、国を我が意のままにせんと計り、先ず当時都で武勇の誉れ高い源頼光を亡きものにせんと機をうかがいます。時良く頼光の侍女胡蝶が典薬頭より薬を持ち帰ることを知るとすぐさま彼女を襲い、その胡蝶になり替わって頼光に近づき、頼光に毒薬を飲ませて命を狙います。頼光が源家の宝刀膝丸の太刀で防戦すると、手傷を負った土蜘蛛の精魂は葛城山へと逃げ去りました。危うく難を逃れた頼光は、この太刀を蜘蛛丸と命名し、四天王碓井貞光・卜部季武に授けて葛城山に向かわせます。貞光・季武の両名は激闘の末めでたく土蜘蛛の精魂を成敗するという物語です。
10時45分〜11時20分鐘馗松原神楽団安芸太田町(松原)
「鍾馗」は中国や日本に伝わる魔除けの神様です。備後風土には、みすぼらしい姿の武塔神(むとうしん)が一夜の宿を頼み、貧しいながらも温かくもてなした家族に「茅の輪(ちのわ)」を腰に巻くよう言い残し、村中に疫病(えきびょう)が流行った際にその家族は助かったという伝説があります。神楽の演目はこの伝説などから創作され、素戔嗚尊(すさのおのみこと)の化身が鍾馗大神(しょうきだいじん)と名乗り、民の命を奪おうとする疫病神(えきびょうがみ)と戦います。
姿なき疫病神を、左手に持つ茅の輪で捕らえ、右手の剣で見事退治するという物語です。
歌と台詞
11時27分〜12時02分紅葉狩西宗神楽団北広島町(西宗)
世に武勇の誉れが高い、中納言平維茂主従は、帝から信州戸隠山に棲み世の中に災いを及ぼしている「鬼神」を退治する命令を受けたが、道に迷って戸隠山に入る。山は赤く色付き、紅葉狩りをするにはうって付けの景色になっていた。折りよく美女たちが酒宴を張っている場面にめぐり合い一緒に酒宴をするように勧められる。維茂一行はつい度を過ごし酔いつぶれてしまう。美女らは正体を現し「鬼女」の姿になり主従を食い殺そうとする。丁度その時日頃維茂が信心する八幡大菩薩が降臨し鬼女たちを追い散らし、今の美女らが戸隠山に棲む鬼女であることを教える。そして、この剣で退治するようにと維茂に「神剣」を授ける。生気に戻った維茂主従は鬼女らに戦いを挑み、激しい戦闘の末めでたく鬼女を征伐する。
12時09分〜12時44分神武 川北神楽団安芸太田町(加計)
長らく日向の国、高千穂にあった天孫族の、神倭(かんやまと)盤余彦命(いわれひこのみこと)は良き地を求めて海路東に向かい、河内から大和の国へ行こうとし紀の国熊野を廻り、幾重の険しい山道を越えてようやく大和へ出た。ここには長髄彦がいて大いに苦戦をしいられたが、天つ神の詔(みことのり)をうけて勝利を得、大和畝傍山(うねびやま)のふもと橿原(かしはら)の地を宮所と定め、神武天皇と名を改め、天(あま)つ日嗣(ひつぎ)の位を継ぎ大和平定がなされたと云う物語である。
また、日乃臣命(ひのおみのみこと)は遠い道程の案内役としての功績を認められ、登用と共に道ノ臣命の名を賜ったと伝えられている。
13時00分〜13時35分鬼人お松津口神楽保存会世羅町(津口)
奥州津軽越中の藩主、夏目団十郎は城下で、ご宝庫の御番役を務めている時、お家代々伝わる御宝物、烏丸の名刀を何者かに盗まれ、供の下僕(三吉)を連れて名刀詮議の旅に出る。
奥州と南部の国境、音無川に差しかかり、持病の癪の病にて、難渋する女(鬼人お松)に道中薬を与えて助ける。奥州から南部に渡る橋は近くには無く、団十郎は、女を背負い渡る途中に、女に刺し殺される。供の下僕も殺される。
夏目団十郎の一子、白三郎は父の帰参が遅い事から、父の行方と銘刀詮索の旅に出て、奥州一ノ宮塩釜大明神に参拝し、目的達成を祈願する。神の神告げで、父団十郎は、奥州と南部の国境、大万山に岩屋を築く鬼人お松に殺され、烏丸の銘刀も盗み、岩屋の宝物にいたしておるとの神告げあり。
白三郎は大万山の麓で茶店の亭主(鬼人お松の回し者)に案内させ、大万山に登る途中、道端の薬師地蔵に参拝していると、亭主が切り掛かるので退治する。更に登れば女の苦しむのに出会う。白三郎は女に高貴薬と偽り、ハンミョウ七味の毒薬を渡す。女は毒薬と察し、飲む振りをし、捨てる。女は正体を現し、白三郎と勝負をし、鬼人お松は倒れる。
13時42分〜14時17分茨木中川戸神楽団北広島町(川戸)
平安中期、京の都では毎夜一条戻橋に怪物が現れ、数々の悪行を重ね、人々は不穏な時期を過ごしていました。そこで時の武将源頼光は、怪物鎮圧のため、家臣である四天王の一人渡辺綱を一条戻橋に向かわせます。綱は頼光より授かった名刀「髭切」の加護により、怪物の左腕を切り落としますが、惜しくもとり逃してしまいます。頼光は綱の持ち帰った怪物の左腕を、陰陽師安倍晴明に占わせると「これより七日のうちに魔性の者は必ず左腕を取り返しに来る。それまでは堅く館の門を閉ざし、仁王経を唱え、誰も館に入ぬ事と告げられ、綱に七日間の物忌みを命じます。そして、七日目の夜、綱の館に一人の老婆が現れます。老婆は摂津の国から来た綱の伯母「真柴」であると告げ、綱に一目会いたいと申し出ますが、物忌みの最中の為会うことはできないと追い返します。しかし執拗に懇願され、肉親の情けに負けた綱は真柴に心を許し館へと入れてしまいます。館に入った真柴はたちまち魔性の本性を現し、左腕を取り返すと、いつしか鬼の形相となり、自らを茨木童子と名乗り、虚空飛天の妖術で、大江山へと飛び去って行ったという物語です。
14時24分〜14時59分塵倫三谷神楽団安芸太田町(中筒賀)
仲哀天皇 帯中津彦命の御代に異国から賊が攻めてきましたが、その軍勢の中に 「塵倫(じんりん)」といい、身に翼があり、天空を神通自在に駆け巡る大悪鬼がいました。天皇は、従者高麻呂らを率いて、天の加護弓と天の破魔矢の威徳を持って、見事これを退治するという物語です。
15時06分〜15時41分羅生門堀神楽団安芸太田町(堀)
この神楽は「平家物語」から取材したものとされ、大江山の長編物語の前編です。平安時代の中期、京は長雨、悪疫、盗賊の横行など不穏な世情の中、京都平安京の羅生門には、夜毎妖鬼(大江山の茨木童子)が出没して良民を苦しめるとの噂があった。源頼光は家来で四天王の一人である渡辺綱に命じ坂田金時と共に征伐に向かわせ、羅生門において激闘の末、茨木童子の腕を切り落として持ち帰るところまでの物語です。
15時48分〜16時23分大楠公津浪神楽団安芸太田町(津浪)
「大楠公」は後醍醐天皇の勅命により、北条、足利の軍勢と幾度もの合戦において、朝敵と交えます。時は過ぎ、再び勢力を盛り返す足利の軍勢を兵庫に迎え討ちます。そして、死を覚悟し最後の合戦に望む楠公忠臣録です。
桜井の驛で一子正行と別れ、延元元年5月、湊川(神戸)合戦で討ち死にするまでの建武中興の歴史を神楽化したものです。
16時30分〜17時05分天の岩戸栗栖神楽団廿日市市(栗栖)
須佐之男尊は、姉君天照大御神との誓約に勝ち、悪しき事止まざるにより姉君を怒らせ、天照大御神は遂に天の岩屋に御隠れになったため、世は一天常闇となり、悪神が横行するので、八百万の神々が協議の末、遂に天照大御神を天の岩屋から連れ出し、世の中が再び明るくなるという物語です。
17時12分〜17時47分滝夜叉姫吉和神楽団廿日市市(吉和)
平安時代中期、天慶の乱において平貞盛、藤原秀郷により、無念の最期をとげた平将門の娘、五月姫は、父将門の無念を晴らさんと貴船の社に祈願をかけ、その満願の日、貴船の神より妖術を授かり、名を滝夜叉姫と改めた。その後、下総は猿島の地において、多くの手下を集め、朝廷にそむき天下に災いをなした。そのため、朝廷より勅命を受けた大宅中将光圀は、山城光成とともに下総に向かい、陰陽の術をもってこれを征伐するという物語である。