第49回広島県神楽競演大会 演目紹介
9時10分〜9時30分潮祓筏津神楽団北広島町(筏津)
9時35分〜10時10分紅葉狩大塚神楽団北広島町(大塚)
狩野の旅にでた平維茂は、道に迷い信州戸隠山に入り、紅葉狩の酒宴を開き待ち受ける戸隠山の鬼女たちに誘われます。酒宴の酒に酔い伏した維茂の一命失うとなったとき、日頃信心する八幡大菩薩が降臨し救われます。
一命を救われた維茂は授かった神剣をもって、めでたく鬼女を征伐します。
10時45分〜11時20分滝夜叉姫上本地神楽団北広島町(本地)
平将門の娘五月姫は、天慶の乱において父を討たれた無念を晴らそうと思ったが、女の身では力で敵わず、三・七・二十一日貴船の神に祈願をした。
その満願の日、五月姫は貴船の神より妖術を授かり、名を滝夜叉姫と改め、下総の国相馬の城に向かい、手下を集めて父の恨みを晴らそうとした。
関東近隣で悪事を働くことが都に聞こえ、朝廷は陰陽博士の大宅中将光圀に滝夜叉姫征伐の勅命を下し、光圀主従は下総の国に向かう。
光圀が下総の国に向かうと聞いた滝夜叉姫は手下に合戦の用意を命じ、相馬の城で迎え撃つ。
手下を討たれた滝夜叉姫は貴船の神より授かった妖術をもって光圀らを悩ませるも、光圀は陰陽の術で妖術を打ち破り、見事滝夜叉姫を成敗する。
11時27分〜12時02分塵倫飯室神楽団広島市安佐北区(安佐町)
第14代仲哀天皇の時代、日本征伐を企て異国から数万の軍勢が攻めてきた。その中に背に翼を持った塵倫という大悪鬼が、黒雲に乗り虚空を神通自在に飛行し、国々を荒し多くの民を滅ぼしていた。
そこで仲哀天皇は竹麿呂を従え、弓矢の威徳を以て塵倫に立ち向かった。
激しい戦いの末、見事塵倫を討ち取った。国の危機を救い、天下泰平、民安全の世を作りあげた仲哀天皇を讃える神楽である。
12時09分〜12時44分鐘馗筏津神楽団北広島町(筏津)
鍾馗は中国や日本に伝わる魔除けの神です。備後国風土記には、みすぼらしい姿の武塔神が一夜の宿を頼み、貧しいながらも温かくもてなした家族に茅の輪を腰に巻くよう言い残し、村中に疫病が流行った際にその家族は助かったという伝説があります。神楽の演目はこの伝説などから、素戔嗚命の化身が鍾馗大臣と名乗り、民の命を奪おうとする疫病神と戦います。姿なき疫病神を左手に茅の輪で捕らえ、右手の剣で見事退治するという物語です。
13時00分〜13時35分八ツ花の舞阿刀神楽団広島市安佐南区(沼田町)
阿刀神楽は広島県の西部方面から山口にかけて昔から伝えられている十二神祇系神楽です。
阿刀神楽の12演目の中の「所望分けの舞」の中の一部で神代の時代のその昔、五人の皇子がいました。遺産相続の分配をめぐって兄弟げんかが始まります。「所望」とは財産家督という意味です。すなわち財産分与、家督相続分与という意味です。五人目の皇子が兄四人の皇子と財産分与をめぐって争いとなり、ついに合戦となりこの「八ッ花の舞」は合戦に向けて兄四人の皇子が練習をする場面を表現したものです。
13時42分〜14時17分吾妻山横田神楽団安芸高田市(美土里町)
源頼光から陸奥探索の命を受けた卜部季武は、無事主命をはたし、妻五月姫と共に越後の国へと向かいます。
一方、阿闍利祐慶のため、安達ヶ原の黒塚を追われた妖鬼は信夫山に宿りを定め、宿の女主に化生して、黒雲・赤雲両名の手下を従え、山に入り来る者を引捕らえては取り食らうことを生業としていました。
信夫山にさしかかった季武の一行は山家の灯りを見つけると、旅に疲れた妻を女主に託して越後に向かいました。しかしまだ日も落ちぬ中での流れ星に不吉な予感を覚え、急いで妻の元へ引き返します。しかし「休む間もなくここを発たれました」という女主を怪しんだ季武が問いつめると、ついに妖鬼は正体を現しました。戦いの末、無事五月姫を助出した季武は、妻を危難に遭わせたことを悔やみ、この山を吾妻山と名づけ、一生の教訓としたという物語です。
14時24分〜14時59分茨木中川戸神楽団北広島町(川戸)
平安中期、京の都では毎夜一条戻橋に怪物が現れ、数々の悪行を重ね、人々は不穏な時期を過ごしていました。そこで時の武将・源頼光は、怪物鎮圧のため、家臣である四天王の一人・渡辺綱を一条戻橋に向かわせます。綱は頼光より授かった名刀「髭切」の加護により、怪物の左腕を切り落としますが、惜しくもとり逃してしまいます。頼光は綱の持ち帰った怪物の左腕を、陰陽師・安倍晴明に占わせると「これより七日の内に魔性の者が必ず左腕を取り返しに来る。それまでは堅く館の門を閉ざし、仁王経を唱え、誰も館に入れぬ事」と告げられ、綱に七日間の物忌みを命じます。そして、七日目の夜、綱の館に一人の老婆が現れます。老婆は摂津の国から来た綱の叔母「真柴」であると告げ、綱に一目会いたいと申し出ますが、綱は物忌みの最中の為会うことはできないと追い返します。しかし、執拗に懇願され、肉親の情けに負けた真柴に心を許し館へと入れてしまいます。館に入った真柴はたちまち魔性の本性を現し、左腕を取り返すと、いつしか鬼の形相となり、自らを茨木童子と名乗り、虚空飛天の妖術で大江山へ飛び去って行ったという物語です。
15時06分〜15時41分神武川北神楽団安芸太田町(加計)
長らく日向の国、高千穂にあった天孫族の、神倭盤余彦命は良き地を求めて海路東に向かい、河内から大和の国へ行こうとし紀の国熊野を廻り、幾重の険しい山道を越えてようやく大和へ出た。ここには長髄彦がいて大いに苦戦をしいられたが、天つ神の詔をうけて勝利を得、大和畝傍山のふもと橿原の地を宮所と定め、神武天皇と名を改め、天つ日嗣の位を継ぎ大和平定がなされたと云う物語である。また、日乃臣命は遠い道程の案内役としての功績を認められ、登用と共に道乃臣命の名を賜ったと伝えられている。
15時48分〜16時23分鈴鹿山日吉神楽団安芸高田市(美土里町)
鎮守府将軍、坂上田村麻呂は、鈴鹿山の鬼神征伐に向かう。鬼神の頭目犬神丸は、手下の夜叉丸を和田里につかわし、和田翁の娘、あやめ姫をとりさらわう。
折から通りかかった田村麻呂によってあやめ姫は救われ、夜叉丸は降伏する。夜叉丸の案内で岩屋に攻め入り、犬神丸は征伐される。
16時30分〜17時05分天神上石神楽団北広島町(志路原)
菅原道真は、宇多天皇の御信任を受けて目覚ましい栄進を遂げ、右大臣まで上り、(901年)正月7日には従二位に叙せられ破格の出世をした。
宮廷に於ける実力者達はそれを快く思っておらず、左大臣 藤原時平や伴大納言の讒言により、道真は九州大宰府へと流された。
以来悶々の情のやり場もなく、ついに敵を報ずるために都に上り、めでたく奸賊を討ち取る物語である。
「東風吹かば 匂いおこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ」
この歌は、西国に旅立つ時に歌われたと言われている。
17時12分〜17時47分八岐大蛇龍南神楽団北広島町(都志見)
日頃の悪行により、天照大神をはじめとする神々に高天原を追放された須佐之男命は、出雲の簸の川ほとりにたどり着いた。そこで川上から一本の箸が流れ着き、須佐之男命はその元を訪ねるべく川上へと向かう。そこには足名椎、手名椎という老夫婦が奇稲田姫という姫とともに嘆き悲しんでいた。須佐之男命が尋ねると「自分達には八人の娘がいたが、毎年八岐大蛇というものが現れ毎年一人ずつ取り喰らわれ遂に最後の姫となってしまった」と嘆くばかり。姿を尋ねると「頭は八つ、尾も八つ。目は鬼灯のようで、背には桧や杉が生い茂り、腹はいつも血で赤くただれている」という。須佐之男命は夫婦の願いを聞き入れ、大蛇に酒を飲ませ、酔い伏したところを切るという謀を考え、夫婦に酒を作らせ、大蛇を待った。叢雲がたなびいたとき、大蛇が現れ、酒を飲み込んでしまう。須佐之男命はその不意をついて、大蛇をずたずたに切り裂く。最後の一太刀を切り下ろした時、大蛇の尾より一振りの宝剣が表れた。このとき、あたりに叢雲がたなびいたことから、この剣を天叢雲剣と名付け高天原の天照大神に献上する物語。