広島県神楽競演大会

第50回広島県神楽競演大会

2024年10月20日(日) 場所:広島サンプラザホール

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第47回広島県神楽競演大会 演目紹介

9時10分9時30分四方祓三谷神楽団安芸太田町(中筒賀)

9時35分10時10分天の岩戸栗栖神楽団廿日市市(栗栖)

 須佐之男尊すさのおのみことは、姉君天照大御神あまてらすおおみかみとの誓約うけいに勝ち、悪しき事止まざるにより姉君を怒らせ、天照大御神は遂に天の岩屋に御隠れになったため、世はいってんとこやみとなり、悪神が横行するので、八百万やおよろずかみがみが協議の末、遂に天照大御神を天の岩屋から連れ出し、世の中が再び明るくなるという物語です。

10時45分11時20分土蜘蛛中川戸神楽団北広島町(川戸)

大和やまとの国を一望する葛城山かつらぎさんみつき、天下を撹乱かくらんしようとする土蜘蛛つちぐも精魂せいこんが、都のまもり源頼光みなもとのらいこうへ忍び寄ります。
時に頼光は病に伏し、頼光の侍女じじょ胡蝶こちょうは、典薬頭てんやくのかみから御薬みくすりを持ち帰る様命じられますが、典薬頭に化身けしんしていた土蜘蛛の精魂に襲われます。胡蝶になりすました土蜘蛛の精魂は頼光に毒薬を薬と偽って飲ませますが、頼光に正体を見破られ、伝家の宝膝丸ひざまるで手傷を負い葛城山へと逃げ帰ります。
頼光は我が身を救ったこの宝刀「膝丸」を「蜘蛛くも切丸きりまると改め、四天王してんのううら季武すえたけ坂田公時さかたのきんときへと授け、土蜘蛛退治を命じます。命を受けた両名は葛城山へ向かい土蜘蛛の妖術ようじゅつに立ち向かい成敗するという物語です。

11時27分12時02分滝夜叉姫上河内神楽団安芸高田市(美土里町)

 平安時代、坂東八ヶ国を斬り従えたたいらの将門まさかどは、自らを「新皇しんのう」と称し、関東一円の政を手中に治めました。しかし、天慶てんぎょうの乱でたいらの貞盛さだもり藤原ふじわらの秀郷ひでさとの奇襲に遭い、あえない最期を遂げてしまいます。父将門を討たれた五月姫さつきひめは、その恨みを晴らすため、貴船きふねの社に願をかけ遂に妖術ようじゅつを授かります。妖術を身につけた五月姫は「たきしゃひめ」と名を改め、多くの手下を従え朝廷に背いていました。滝夜叉姫征伐の勅命を受けた大宅おおやの中将光圀ちゅうじょうみつくには、姫の妖術に苦しめられますが、陰陽おんみょうの霊術をもってそれを討ち破り、見事に征伐するという物語です。

12時09分12時44分矢旗三谷神楽団安芸太田町(中筒賀)

 この神楽は、正行(台詞)により第15代応神天皇(誉田別命ほんだわけのみこと)を八幡神として英雄化するために創作されたものということが推察される。
 大和の西国(豊国の宮)にて、天界から降臨した白旗・矢旗の二神が主人公。天照大神あまてらすのおおみかみから賜ったみことのりを受けて、四方の国を統治すべく勅命され、伊勢神宮の祭神のお告げもあり、母の胎内にありし頃より異国へと赴き、その国を服従させようとしたが、わが国に支障をきたすに至り、反して従わず、兵士たちが筑紫つくしに来て災難を与えるので、これらを降伏させるため、天照大神のご神徳と、弓矢の威徳を持って退治するという物語です。

13時00分13時35分四天戸田神楽保存会呉市(仁方町)

四天は、仏教の五大明王の中の中央の不動明王を囲む、四明王を表しています。
・東方 - 降三世ごうざんぜ明王 ・南方 - 軍荼利ぐんだり明王 ・西方 - 大威徳だいいとく明王 ・北方 - 金剛夜叉こんごうやしゃ明王
提婆だいばは、お釈迦様に逆らった仏教の異端者です。四天は、春夏秋冬を表現しているともいわれています。最初に四天が御幣を持って舞います。次に提婆が現れて舞います。 提婆は四天に問答を挑みますが、最後に敗れます。敗れた提婆は、最後に御幣を持って舞ってから去ります。最後に、四天は扇を持って勇壮に舞います
本日の舞は以下の2点が本来の舞いと異なります。
・本来は四方で舞いますが、舞台の関係で、北方を省略しています。
・本来は、扇で舞う前につるぎの舞がありますが、時間の関係で省略しています。

13時42分14時17分鐘馗川北神楽団安芸太田町(加計)

 「鍾馗しょうき」は石見神楽の中では最も貴ばれ、重い演目の一つです。この神楽は、日の神の弟 素戔嗚尊すさのおのみことと備後風土記に出てくる茅の輪の伝説、それに謡曲 鍾馗とを合体させたものといわれています。素戔嗚尊が唐の国にいた時、鍾馗大神と名乗り「虚耗」という悪疫神を退治いたしました。しかし、その一族の残党が我が国に渡来し、大疫神となり人々を悩ましているので、鍾馗大神がの威徳をもってこれを退治するというお話です。鍾馗大神は左手に茅の輪、右手にほこを持って舞い、茅の輪によって、魔術で身を隠している疫神の姿を探り、格闘の末これを征伐するのです。茅の輪は、これを潜れば疫病からのがれることができると云う伝説にもとづき、茅の輪くぐりの祭事が今でも続けられている神社があり、災疫の護り神として信仰され祭られています。

14時24分14時59分戻り橋(後編)曙神楽団北広島町(川戸)

 京の戻り橋で、渡辺わたなべのつな茨木いばらぎ童子どうじの左の腕を切り取り持ち帰りました。
 腕を切り落とされた茨木童子を哀れと思った酒呑しゅてん童子どうじは、茨木童子の左の腕を取り返す為、綱の乳母・白妙しらえを殺し白妙へと身を変え、綱の屋敷へ乗り込みます。首尾良く綱を騙して左の腕を取り返した酒呑童子は、茨木童子を呼び出し左の腕を取りつけます。
 酒呑童子に立ち向かった綱は水火の魔術をかけられ倒れるも、石清水いわしみず八幡宮はちまんぐうの神のお告げにより駆け付けた源頼光に助けられ童子と戦います。
 しかし、酒呑童子は虚空こくう飛天ひてん妖術ようじゅつを使い大江山へと飛び去っていくという物語です。

15時06分15時41分紅葉狩大塚神楽団北広島町(大塚)

 狩野の旅にでた平維茂たいらのこれもちは、道に迷い信州しんしゅう戸隠とがくしやまに入り、紅葉狩の酒宴を開き待ち受ける戸隠山の鬼女たちに誘われます。酒宴の酒に酔い伏した維茂の一命失うとなったとき、日頃信心する八幡はちまんだい菩薩ぼさつが降臨し救われます。
 一命を救われた維茂は授かった神剣をもって、めでたく鬼女を征伐します。

15時48分16時23分伊吹山横田神楽団安芸高田市(美土里町)

 日本武尊は、東国平定の途中、相模国の走水において海難に遭います。その時、最愛の妻弟橘姫は、海神の怒りを鎮めるために自らの命を犠牲にし命の危機を救いました。その後、尊は無事、東国を平定し、伊勢国に帰り愛しき妻弟橘姫の御霊を祀り思いを寄せる毎日を送っておりました。
 しかし、そこへ都より帝の使い韋駄天権内が伊吹山の鬼人を征伐せよとの勅命を持って駆けつけました。勅命を受けた尊は権内とともに舞楽行脚の者に姿を変えて伊吹山へ向かいました。そして、伊吹山に着いた一行は、自らは舞楽行脚の者だと名乗り鬼人へと近づき、鬼人らは尊の舞楽を肴に酒を飲み始めました、そして尊は、酒宴の最中、剣舞を披露し、隙を見て斬りかかり戦いとなりますが、大鬼人の妖術にかかり尊は危機に陥ります。しかし、その時、尊の弟小串命が弟橘姫の神霊より賜った御幣をもって駆けつけ、尊の危機を救い、再び大鬼人へと立ち向かい見事大鬼人を征伐するというお話です。

16時30分17時05分塵倫筏津神楽団北広島町(筏津)

 この国に悪災を与えるじんりんという鬼は、背中に翼を持ち、天空を自由自在に駆け巡ることが出来ました。 しかも、神通力を使し、戦術にも長けたこの鬼は、数万騎の軍勢を従え、庶民を大いに苦しめました。 そこで時のみかどちゅうあい天皇は、不思議な霊力を発揮するという弓矢を武器に、この恐るべき敵に戦いを挑んで、見事撃退するという物語です。

17時12分17時47分日本武尊桑田天使神楽団安芸高田市(美土里町)

 十二代景行けいこう天皇の第二子小碓命おうすのみことは、勅命を受けて九州熊襲くまそで権勢をほこり、民衆を苦しめる豪族の頭、川上帥の成敗に出かけます。
 川上帥の館では、ちょうど館の新築祝いの酒宴の最中で、命は旅の女に身を変えて酒宴に臨み、酔いつぶれた帥を討ち取ろうとします。帥は命との一騎討ちとなるが、ついに命の強さに圧倒されてしまう。そして絶命する間際に「わが西国において、我に勝るものはいないと思っていたが大和の国には、命のような勇者もいたのか、このうえは日本武尊やまとたけるのみことと名乗ってほしい。」と言い残し絶命します。小碓命は以後、名を日本武尊と改めるという物語です。